TEAM

秋山 弘宣 (あきやま ひろのり) AKI AKIYAMA
AKI AKIYAMAは70年代に国内の大会をソウナメし自身の活躍の場が日本に無いと知るや単身日本を飛び出しアメリカのSKATEBOARD MAKERに勤めるかたわらワールドカップに数回にわたり参戦、平行して日本初のプロスケーターとして道具の開発、PRO SHOP経営、デモンストレーション、さらに協会の設立や後輩の育成に東奔西走した。常にニュートラルでアグレッシブな行動はまさにフリーダム、今でもその滑りは現役そのもの、勿論現在もデモやスクールの講師をつとめている彼は業界を陰から見守る真のROOTSでありレジェンドだ。
秋山 勝利 (あきやま かつとし) KATSU AKIYAMA
AKIの実弟で早くから兄のもとで鍛えられ、1978年の全日本大会で兄の総合優勝に続き総合2位を獲得する他、スピンの記録36と4分の1回転を樹立した。AKIと共に協会活動するかたわら、スケートボードの輸入卸製造会社に勤め知識をフィードバックした製品の企画に携わった。
1990年、日本初のSKATERS COMPANY “Be’-In Works” を開業 (リアルなSKATEBOARDERがSKATEBOARDを扱う会社が実はそれまで日本には無かった)現在に至る。

鈴木 茂一(MO-1)
2006年イギリスで行われた世界フリースタイルコンテストで堂々の第3位を獲得、その後彼自身のプロモートのもと、東京ベイららぽーとで開催された2009年のフリースタイル世界選手権では準優勝の成績を収めた。
彼は日本フラットランドスケートボード協会の設立者で大会の企画と運営を手掛けるほか、ムラサキスポーツの契約プロとしてフラットランドスケートボーディングの普及を目的にデモ活動に参加している。最近ではウィールブランド HORNET WHEELを立ち上げ活躍の場を広げている。

増田 力也
世田谷公園内のパーク設置の為に10年以上に渡り地道な活動を続けている世田谷公園のローカルの増田力也は、スケートボード滑走全面禁止という公園管理側との約束をキッチリ守り、さらに公園の有効利用をテーマにちびっ子スクールを開催、地道な努力を積み重ね行政側にアピールし続け信頼を獲得。遂に2010年4月に東京の真ん中とも言える好立地の世田谷公園にフラットエリアとテーブルセクション、クオーターパイプを有するコンクリートパークを造らせたのだ。彼のライフワークでもある普及活動は今も続いてる。

冨田 誠 (カレー君)
カレー君こと冨田 誠はパークの設置を目的に数年間に渡り署名運動を行い役所に足しげく通い説得し続け、ついにその夢を現実化し見事、城南島海浜公園内にパークを造らせてしまった天下無敵の底抜け前向き男だ。カレー君は現在 “FIFTY-FIFTY” というPRO SHOPを経営している。彼のSHOPには力強く、人情味溢れる京浜地区ならではの人間味豊かなSKATEBOARDERが集っている。

小川 元
世界各地を飛び回るバーティカルライダー、バーティカルというSKATEBOARD最高峰の競技の普及の為 ASJ (Asia Skateboard Japan)を設立。海外の大会での日本選手のマネージメントなど、後輩の育成に情熱を燃やすSKATEBOARDERだ。

渡邊 ゆうま
スタイリッシュな滑りで見る者の度肝を抜くROOTSライダー最年少であり、次世代を切り拓いていくであろうホープ。トランジション、バーチカル、プールそしてスラロームまでハイレベルでこなす姿は圧巻。

豊田 貢
USA NHS社から80年代にシグネーチャーモデルを出させた程のバーティカルの実力者で現在PRO SNOWBOARDERの豊田貢。再びスケートボードが街に還り、競技とファッションの両面から華々しく流行した80年代のスケートシーンで、彼のバーティカルの華麗な滑りは周囲を絶叫させた。SKATEBOARDING、SURFING、全てをこなす。
吉田 雅法
FRIEDNDS
石原 和晃 (ハッチャキ)
80年代のSTREET SCENEを駆け抜けた天才、グラフィックの提供をしてくれている。